まちゃひこのシアタールーム

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【感想】映画「エクス・マキナ」(アレックス・ガーランド監督)/ぼくらが知性と呼んでいたものを、これから何と呼べばいいのか

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※このエントリーは映画「エクス・マキナ」のネタバレを含みます。

 

三連休、友だちと遊んだり、姉の新築へ行ったりする。

 

「読みたい本」と「読まれた本」の格差

以前、作家の知人との話のなかで

「日本でいちばん読まれるものはキュレーションサイト(まとめサイト)になって、この世でいちばん本を読んでいるのはGoogle(検索エンジン)」

という話題がでた。

じつはこのこと、ブログをやっているととても痛切に感じられるもので、はっきりいってしまえば、このブログ「カプリスのかたちをしたアラベスク」のアクセスの大半はオススメ小説ランキングである。

なにがいいたいかといえば、ぼくは世の中には「読みたい本」にくらべ、「読める本」「読んだ本」というのはあまりにすくないということで、ネット環境がある程度整ったことによってこの格差は大きくなった。つまり「読みたい本」の情報を獲得するのはめちゃくちゃ楽になったけれど、「本を読む」ことの労力は変わっていない。素朴に考えて、じぶんで本を読むよりもだれかに読んでもらったほうが効率はいい、それこそ、人工知能とかそういうものに。

 

 

21世紀で議論する「知性」

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 映画「エクス・マキナ」(アレックス・ガーランド監督)は人工知能にチューリング・テストを行うという映画だ。チューリング・テストはざっくり説明すると、「人工知能が人間に擬態できるか」というものであり、本作では検索エンジンの世界シェアNo.1会社でプログラマーとして働いている青年が、ひょんなことからこれを行うように社長に命ぜられるという筋書きになる。

物語についてのことは、けっこういろんなひとがやっているのでそこまでめっこり踏み込む気はない。研究施設に幽閉されている人工知能「エヴァ」が、自らが外へ出ていくために、テストを行う人間に自分を惚れさせるという手段を取る。

ガーディアンで出ていたレビューには

Just as Blade Runner wondered whether its lifelike replicants could really fall in love, so Ex Machina spirals obsessively around the question not of artificial intelligence but artificialaffection, worrying away at the authenticity of attraction as an indicator of consciousness itself.

 

The idea may be an old one but its execution is fresh and vibrant enough to conjure an attractive illusion of originality.

 

www.theguardian.com

と書かれている。確かに「知性」というものについて、この映画は深く立ち入らない問いう意思を見せていたように感じる。見ていて、ぼくが一番モヤモヤしたのは、

「人工知能が明らかに感情と呼べるものを持ち合わせているのにもかかわらず、人間たちがそこへ踏み込んでいかない」

ということだった。

 

そもそもこの映画の序盤で、「どのようなテストを行うべきか」という議論がなされていて、

「チェスゲームのような演算処理能力を測るものやっても、それは思考しているとは言えない」

と言及されている。しかし、この映画の本当のテストは

「チューリングテストを行う人間を騙して、人工知能が研究所の外へ出ていけるか」

を試すものだったと明かされる。

しかし、そこが問題だ。それではチェスと同じになってしまう。

ぼくが思うに、「知性」には少なくともふたつの種類があると思っていて、それは「問題解決」「創造」である。前者は設定された目的に向かって演算処理をすることを意味する。

そもそもチューリング・テストがとても優れていたのは、

「定義が難しい“知性”というものを、ほかならぬ人間が人間らしいと見なせるかどうか、人間に擬態できる能力」

という煩雑化を回避した、簡潔な定義で“知性”を定義したことにあるとぼくはおもっている。そしてこのテストは定義が簡潔であるがゆえに、あらゆる拡張が可能であり、汎用性に富む。しかし、解像度の高い分析には向いていない。

エヴァは、明らかに人間に擬態することができた。

彼女の脳は、世界中の携帯電話をハックした情報から構築されているという。言葉こそ出なかったが、今流行りの「ビッグデータ」を「ディープラーニング(深層学習)」からヒントを得たものであることには間違いないだろう。ただ、これを安易に拡張すると、すべては「人間らしく振る舞う」という課題を解決するための「演算」という形に収束するだろう。そうなれば、エヴァの能力を測るテストじたいが「チェスゲーム」と変わらないものになってしまう。エヴァは「外に出る」という課題を解決するために、知的に振舞ったり対象を性的に誘惑したりした、という演算を行ったにすぎないのだ。

しかし、ここでひとつ、目を向けるべきだったことがある。

どうしてエヴァや、そのプロトタイプの人工知能たちは「外へ出たい」と願ったのだろうか?

これは上述に挙げたふたつの知性のうち明らかに「演算」に当てはまらない。もちろん、本作でも「性別」を持つことや「恋愛」について、「そうであるからそうでしかない」というアプリオリなものを尊重するといった姿勢を見せているけれども、もし本当にそうであったなら、そもそも「この不気味なチューリング・テスト」を行うという研究は、極めて無意味であるとかんじられた。

 

解析可能なものはすべて「演算」に落とし込まれる、というのは馬鹿げた極論でしかない。けれども、現在「解析不能」とされるものはアプリオリであるという特権、「創造」として尊い知性とされるが、もしそれらの解析が可能になれば、その特権は人間から奪われ「創造」が「演算」に塗り替えられるかもしれない。

それがいいのか悪いのかはわからないけれど、それに嫌悪を抱くならば、ちょっと人間を神聖視しすぎなのかもしれない。

 

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