まちゃひこのシアタールーム

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映画「ゼロ・グラビティ」(アルフォンソ・キュアロン監督)/生き死にの境界として描かれる宇宙について

Hatena Feedly

金曜日に映画「ゼロ・グラビティ」を見た。前に見たのはたしか新婚旅行の飛行機のなかだった。この映画はほんとうは映画館で見なくちゃいけないものだと、友達からたくさんきかされていたから、ついにそれができなかったんだってことを噛みしめながら見た。ビールも飲んだ。

 

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有人宇宙飛行に人類が初めて成功したのは1961年。

かつてぜったいに行くことはできない、想像すらできなかった場所へひとが到達してしまうことで、その場所までの距離が無限から有限に置き換えられるような感覚がある。ぜったいに行ったり想像したりできない場所にひとの痕跡が次々と残されていって、その場所になんらかのリアリティが与えられる。

映画「ゼロ・グラビティ」には想像がない。

これまで宇宙のことをしゃべったりする際に「想像」と呼んでしまいそうなことばは「予測」で置き換えられる。このことは作品中で描写される自然現象の数々のことではなく、特定のシチュエーションに放り出されたひとのことを指す。あまり好きなことばじゃないけれど、「生きようとする意思」をファンタジーなんかじゃなく、ただのリアルとして描いている。

 

 

宇宙と地球のあいだでの通信

この映画では途中、主人公のライアンは、無線で偶然地球の音声を拾う。その声は赤ん坊をあやすもので、ライアンは死んだ娘のことを思い、みずからの生死の重大な結論に踏み切る。そんなシーンがある。

こういうシーンには(悪い意味じゃない)デジャビュがすごいあって、ぼくはカート・ヴォネガット「死圏」ドン・デリーロ「第三次世界大戦における人間的瞬間」といった短編を思い出す。前者は死者の声を受信し、後者はずっと昔のラジオ番組を受信する。

 

バゴンボの嗅ぎタバコ入れ

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天使エスメラルダ: 9つの物語

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「ゼロ・グラビティ」も含め、これら「声を受信する」作品では、基本的に世界が無機質に描かれる。そして、通常では到達できない無限の彼方にあるものを、「受信」という自然現象によって描出することで物理的に到達可能なものに置き換え、物語の人間たちはときに無数の「聞くはずのない声」にさらされる。ただ、奇妙だなっておもうことは、この声たちは必ず「生者」に向かって語り始める。

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