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まちゃひこのシアタールーム

ブログ「カプリスのかたちをしたアラベスク」の別館。映画の話をするよ!

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映画「屍者の帝国」の感想

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同名の小説が原作のアニメ映画だけれども、その製作過程にちょっとしたエピソードがある。伊藤計劃がこの「屍者の帝国」をかけたのは最初の30ページほどで、そこから先は円城塔に引き継がれている。過剰なまでの生者の世界である「ハーモニー」と対称をなす、屍者技術を基盤とした文明が栄える世界が19世紀の街並みととともに描かれる。時代やベースとなる技術がなんであれ、伊藤計劃の作品、虐殺器官、ハーモニーそして本作では「じぶんをじぶんと呼ぶためのもの」を追い求めているようにおもう。通常、ぼくらはそれを意識と呼ぶのだけど、それを物質的な実体として暴こうとする。本作では「重さ21グラムの霊素」にそれが圧縮される。この欲求こそが伊藤計劃のSF観かもしれない。円城塔がそれを「引き継いだ」としているのかはわからないけれども、大事なのはそういうことじゃない。ただ、この映画はこの作品のなりたちの言及を抑えられなかったようにかんじられた。
 

眼で描写

アニメーションの製作は、「進撃の巨人」を手がけたWIT STUDIOで、終末的な景色や、キャラクターの眼でほとんど表情をつくっているような高い製作コストを思わせる作画がとてもよかった。
 
メディアが違えば、たとえおなじ筋の物語であっても描出されるものに大なり小なりのちがいがあらわれる、はずだ。…というのはぼくの持論で、メディアのちがいといのはいわば英語とフランス語のちがいとか、人間とくじらのことばのちがいとか、そういうものだとおもう。
屍者の帝国は、映画でみると肉体的な痛みがつよくあった。擬似霊素のインストールであり、屍者爆弾であり、機械であり、世界を構成するそれぞれのパーツの冷えた温度が痛いとおもった。

 

屍者の帝国 (河出文庫)

屍者の帝国 (河出文庫)

 

 

 

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