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まちゃひこのシアタールーム

ブログ「カプリスのかたちをしたアラベスク」の別館。映画の話をするよ!

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【感想】映画「バスキア(ジュリアン・シュナーベル監督)」/ニューヨークの亡霊と筆跡

※このエントリーには映画「バスキア」の内容の言及があります。

 

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反復的に同じ手法で、同じ切り口からあらゆることを述べるというスタイルについて、ぼくはこれまでちょっとやだな、と感じていたのだけれど、図らずもいざじぶんがそういうことをすると肯定的な見方ができる。

それは単なる自己正当化だといってしまえばそれまでなのだけれど、自身の主題を反復するという行為は、現在言及していることを離れて大きな言及をしようとする行為になるのだとおもう。作品であれ、ゴシップあれ、なんでもない日常であれ、それらはことばの持ち主のなかに蓄積され、群をなし、自己組織化して構造を得る。もちろん個々の独立した意味がどうでもいいということではないけれど、反復により断片化した個々をつなぐというプロセスについて、最近はよく考える。

 

昨年亡くなったデヴィッド・ボウイがアンディ・ウォーホルを演じていることでも知られる、画家ジャン=ミシェル・バスキアの画家としての生きざまを主題とした映画。

バスキアに友人のベニーはこんな助言をする。

「何年で有名になれる?」

「音楽で? 絵で?」

「何でもさ」

「4年かな。6年で金持ち。まずいい服を着ろ。そして有名人と交われ。彼らと仲良くなるんだ。パーティへ行ってさ、社交ってヤツだ。それから作品を作り続ける。同じタイプの作品ばかりを。ひと目でお前のだって分かるようにな」

 そして街でウォーホルを見たとき、ベニーはこうも言う。

渡すな、売るんだ。画家なら売れ。でないと利用されるだけだ。

 

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【感想】映画「her/世界でひとつの彼女」が「エクス・マキナ」より優れていた点について

※このエントリーには映画「her/世界でひとつだけの彼女」のネタバレを含みます。

 

なかなか、一日を有効に使えていないところにフラストレーションが溜まってきた。

やりたいこと(やらなければいけないこと)はけっこう山積みなのだけれども、そればかりをやっていられないっていう現実的な問題もあって、作業にあてていた時間を急遽そっちに割かなければいけないとか、そういうことが割とある。

どうしても家でいると、イマイチ仕事してる感が見た目でも出ないというのは、ちょっと考えものだなぁなんておもう。頼みごとをされると、逆らえない人生だった。

 

さて、先日映画「エクス・マキナ」を見てきたところなのだけれど、それと比較対象にあげられる映画「her/世界でひとつだけの彼女」(スパイク・ジョーンズ監督)を見てみることにした。

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これもエクス・マキナ同様に人工知能が物語の中核をなすお話で、エクス・マキナと同様に人間と人工知能の恋愛も扱っているため、よく並べて議論されたりしているみたいだった。

以下ではぼくもこの2作を比較して考察してみたいとおもう。

※エクス・マキナについては以下の記事を参照

bibibi-sasa-1205.hatenablog.com

 

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【感想】映画「エクス・マキナ」(アレックス・ガーランド監督)/ぼくらが知性と呼んでいたものを、これから何と呼べばいいのか

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※このエントリーは映画「エクス・マキナ」のネタバレを含みます。

 

三連休、友だちと遊んだり、姉の新築へ行ったりする。

 

「読みたい本」と「読まれた本」の格差

以前、作家の知人との話のなかで

「日本でいちばん読まれるものはキュレーションサイト(まとめサイト)になって、この世でいちばん本を読んでいるのはGoogle(検索エンジン)」

という話題がでた。

じつはこのこと、ブログをやっているととても痛切に感じられるもので、はっきりいってしまえば、このブログ「カプリスのかたちをしたアラベスク」のアクセスの大半はオススメ小説ランキングである。

なにがいいたいかといえば、ぼくは世の中には「読みたい本」にくらべ、「読める本」「読んだ本」というのはあまりにすくないということで、ネット環境がある程度整ったことによってこの格差は大きくなった。つまり「読みたい本」の情報を獲得するのはめちゃくちゃ楽になったけれど、「本を読む」ことの労力は変わっていない。素朴に考えて、じぶんで本を読むよりもだれかに読んでもらったほうが効率はいい、それこそ、人工知能とかそういうものに。

 

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映画「アンダーグラウンド(エミール・クストリッツァ監督)」の感想/地上のユートピア

※このエントリーは映画「アンダーグラウンド」のネタバレを含みます。

 

学生時代、サークルの部室(京都ではボックスと呼ばれていた)があった建物があって、ぼくが博士課程2回生に取り壊されることになった。その木造の建物は築100年ぐらいはゆうに経ったもので、大きな地震じゃなくても確かに壊れそうかもしれない。ボックス棟のたてかえの話が出ていた当時、過去の思い出がひとや時代を変えながらも床に幾度となくぶちまけられた酒みたいに染み付いていたのか、反対の声はたくさんあったようだったし、じっさい、すでに引退していたぼくらの同期や後輩、先輩たちもできればあの建物が残っていて欲しかった。

「サークルというものは場所のことをいいあらわすものじゃなくて、ひとの集まりを意味することばだ」

と、同期の友だちがいったことをとてもおぼえている。所属というものは帰属意識を同時にうむ性質を持っているけれど、それが物理的な場所を意味するのか、それとも郷愁のネットワークでつながれた関係性を意味するものなのか、ほんとうのところどちらひとつでいい切れるものじゃないのだけれども、その力関係というものを朝まで鴨川で安いお酒を飲みながらぼんやり考えたりもしたものだった。

 

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映画「ゼロ・グラビティ」(アルフォンソ・キュアロン監督)/生き死にの境界として描かれる宇宙について

金曜日に映画「ゼロ・グラビティ」を見た。前に見たのはたしか新婚旅行の飛行機のなかだった。この映画はほんとうは映画館で見なくちゃいけないものだと、友達からたくさんきかされていたから、ついにそれができなかったんだってことを噛みしめながら見た。ビールも飲んだ。

 

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有人宇宙飛行に人類が初めて成功したのは1961年。

かつてぜったいに行くことはできない、想像すらできなかった場所へひとが到達してしまうことで、その場所までの距離が無限から有限に置き換えられるような感覚がある。ぜったいに行ったり想像したりできない場所にひとの痕跡が次々と残されていって、その場所になんらかのリアリティが与えられる。

映画「ゼロ・グラビティ」には想像がない。

これまで宇宙のことをしゃべったりする際に「想像」と呼んでしまいそうなことばは「予測」で置き換えられる。このことは作品中で描写される自然現象の数々のことではなく、特定のシチュエーションに放り出されたひとのことを指す。あまり好きなことばじゃないけれど、「生きようとする意思」をファンタジーなんかじゃなく、ただのリアルとして描いている。

 

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【映画感想】瞬間を生きること、瞬間のアート――「心が叫びたがってるんだ。」

11月は、

毎週なにかしら予定が入っていて、東京に2回ほど行く予定があります。

その東京行きの片方は文フリですが、ここでは「アマチュアで妥協」というサークルで「らくせん」という同人誌を販売したり、「Shiny Books」さんの「アヴァンギャルドでいこうvol.4」に簡単な文章を書かせていただいたりしています。これらはまたあらためて告知をしますので、またよろしくお願いします。

 

結婚式、

もうひとつの東京行きは大学時代からの友人の結婚式。うちは夫婦で呼ばれていて、結婚式の翌日は東京でふらっと遊んで帰る予定なのだが、嫁氏は春画展に行くことを熱望。べつにいくのはいいのだけど、嫁と一緒にこういうのにいくのはどうもテンションが上がらない。ところで胎教、ということばをすぐに頭におもいうかべ、たまに口にでてしまうことがあるのだけれど、そのたびに嫁に怒られる(いわく、腹の子を理由に行動規制されるのはごめんだとのこと)。

定期健診で経過は聞くというのはあっても、なんだかんだで本当に腹の中のひとが生きているのかどうかは父親予備軍としては気になるもので、胎動の話をきくとほっとするというのはある。ただ、ここ最近活発な動きを見せたのが、ノーベル物理学賞のニュースだったりするので、頼むから学者になりたいとかいわない素直な子どもに育って欲しいとおもう。

 

そういえば結婚式をする友人(新郎)は、昔フランスに旅行した時に、エロティック博物館に現地で知り合った女の子といったという。パコにはならなかったらしい。

 

映画の感想は以下です。ネタバレなど嫌な人はご注意ください↓

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映画「屍者の帝国」の感想

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同名の小説が原作のアニメ映画だけれども、その製作過程にちょっとしたエピソードがある。伊藤計劃がこの「屍者の帝国」をかけたのは最初の30ページほどで、そこから先は円城塔に引き継がれている。過剰なまでの生者の世界である「ハーモニー」と対称をなす、屍者技術を基盤とした文明が栄える世界が19世紀の街並みととともに描かれる。時代やベースとなる技術がなんであれ、伊藤計劃の作品、虐殺器官、ハーモニーそして本作では「じぶんをじぶんと呼ぶためのもの」を追い求めているようにおもう。通常、ぼくらはそれを意識と呼ぶのだけど、それを物質的な実体として暴こうとする。本作では「重さ21グラムの霊素」にそれが圧縮される。この欲求こそが伊藤計劃のSF観かもしれない。円城塔がそれを「引き継いだ」としているのかはわからないけれども、大事なのはそういうことじゃない。ただ、この映画はこの作品のなりたちの言及を抑えられなかったようにかんじられた。
 

眼で描写

アニメーションの製作は、「進撃の巨人」を手がけたWIT STUDIOで、終末的な景色や、キャラクターの眼でほとんど表情をつくっているような高い製作コストを思わせる作画がとてもよかった。
 
メディアが違えば、たとえおなじ筋の物語であっても描出されるものに大なり小なりのちがいがあらわれる、はずだ。…というのはぼくの持論で、メディアのちがいといのはいわば英語とフランス語のちがいとか、人間とくじらのことばのちがいとか、そういうものだとおもう。
屍者の帝国は、映画でみると肉体的な痛みがつよくあった。擬似霊素のインストールであり、屍者爆弾であり、機械であり、世界を構成するそれぞれのパーツの冷えた温度が痛いとおもった。

 

屍者の帝国 (河出文庫)

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